起業という病

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

幸せそうな人、こいつは天才だと思う人は知っている。けど、「幸せな天才」はあまり見かけたことがない。

我こそは幸福な天才だ、という人がもしいたら、墓下からニュートンとジョン・ナッシュが腹を立てて殴りに来るかもしれない。ガロアも銃で撃ちにくるだろう。

少しだけ目を閉じて、ニューヨーク近代美術館(MoMA)を思い浮かべて欲しい。
土曜日の昼下がり、大学生らしいカップルが、腕を組み微笑みながらゴッホの傑作、The Starry Night を眺めている。絵に描いたような(美術館だけに)幸せな光景だ。

一方、時は遡り 1889 年。The Starry Night が描かれた時、ゴッホはサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院にいた。
彼の画はそれまで一度も売れたことはなかった。ゴーギャンとの共同生活は破綻し、彼は耳を切り落とした。ゴッホはてんかんを発症して収容されたが、それでも病室で描き続けた。(彼はここで Irises など多数の傑作を残している)

一枚の絵を隔てるだけで、世界は不平等であることが分かる。「こちら側」の人、MoMa の人たちにとって、世界は概ね幸せに満ちており、全きものである。
「あちら側」の人たちにとっては、世界は歪んでいる。ゴッホは世界を彼の見える通りに描いた。彼の見える世界はぐちゃぐちゃに歪んでいた。彼はどうしてもそれをそのまま書くことしか出来なかった。

「あちら側」の世界は少し特別だ。MoMA にいる沢山の幸せな人たちは The Starry Night を生涯書くことは出来ない。

けど、それは「あちら側」が「こちら側」より優れているということも、幸せであるということも、正しいということも意味しない。それはただ住む世界が違うということだ。

僕が知っている起業家といわれる人たちも少しそれに似ている。

彼らは現状に満足していない。カフェイン中毒の傾向にあり、気持ちよく眠れる日は少なく、アフタヌーンティーを優雅に楽しめる精神状態にあることは少ない…いや、正直に言うとこれは僕のことだ。

世界を拒絶することはチャレンジやイノベーションという綺麗な言葉で片付けられるものよりも、病に近い。リスクを犯さなければ生きる実感を得られないという病に冒された人間だけがその世界へと足を踏み入れていく。

もう一度、2015 年の MoMA と、1889 年のプロヴァンスのことを考えよう。ゴッホと、そしてそれを 125 年後に微笑みながら眺める人たちのことを。

果たして、どちらが幸せだったのだろうか。

その答えがどちらであったとしても、僕はやはり、誰にも見られることのない絵のために、薄暗い病室の片隅で絵筆をとり続ける彼のことを考え、そちら側に立ってしまう。

起業家という言葉はあまり好きではないし、自分がその言葉に値するとはあまり思わないけど、多分僕はそんなぐちゃぐちゃの世界で生きていく。

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